※なんかエロ的要素があるのでご注意










しかも大分悲しい話です
























































一緒に堕ちると約束したでしょうと、君は笑った。
君は本当に、優しい人です。






がしゃんと大きな音が響いた。
しまったと思い急いでリビングに戻ろうとした秀麗だったが、気付けばふわりと抱きあげられて、楸瑛の腕の中にいた。
彼がどんな表情をしているのかなど、秀麗にはもうわかっている。
予想通りの、きれいで優しい顔をして、楸瑛は言う。
「秀麗ちゃん、何度言ったらわかってくれるのかな。君は、私の許可なしには、あのドアを出る事は出来ないんだよ」
楸瑛の言っているのは、リビングと玄関をつなぐすりガラスの扉の事だ。
そのドアを秀麗がくぐるのを許されるのは、風呂に入る時だけで、その時ですら楸瑛と一緒でなければならなかった。
ましてや、扉から真っ直ぐに伸びた鉄の扉の向こうへ出ることなど、楸瑛が許す筈もない。
「あの……、よくお休みのようだったので、起こしてはいけないと思って」
何気なく、本当のことを口にしてしまってから、もう一度楸瑛の顔を見れば、先程以上に優しい笑みが浮かんでいる。
そう思った瞬間に秀麗の体は宙に浮き、僅かの後に背中から着地した。
リビングのソファの上に放り投げられたのだと、秀麗が気がついた時にはもう、両腕をがっしりとおさえられて、楸瑛に組み敷かれた後だった。
これから行われる事を理解して、反射的に視線を逸らしたけれど、好都合と言わんばかりに楸瑛はその首筋を舐め上げる。
「優しいんだね、秀麗ちゃん。でも、そういうときは、起こしてねって言っただろう?」
押さえつけられた手首がじんじんとする。
こういう時は、素直に従う他無いのだと、流石に秀麗も学習していた。
「は、い……。ごめんなさい」
謝罪の言葉を口にすれば、、ゆっくりと頬を撫でられる。
「そう。君は約束を破った。だから罰を受けなければいけないよね」
優しい指先は、ゆっくりと首筋を伝ってゆく。
その指が、ブラウスのボタンにかかった時に、秀麗は小さな悲鳴を上げた。
けれどもそんなものには構いもしないで、楸瑛の指はどんどんと下へ進んでゆく。
「嫌なの?」
問いかける声が微かに震えているのに気付いて、秀麗はそっと自由になった左手を動かした。
先程彼がそうしてくれたように、秀麗もまた楸瑛の頬を撫でた。
「そう。君は、嫌とは言えないんだものね。でも駄目だよ、嫌がってくれなくちゃ、私はもっと酷いことをしなくちゃいけなくなる」
震える声でそう言う彼の為に、嘘をつけたらいいのにと秀麗は思った。
けれども実際には、首を横に振ることしかできなかった。
「君はいつまでそうやって綺麗な顔で笑うのかな」
ため息交じりにそう言うと、秀麗を抱えて、楸瑛が立ち上がる。
いつもの通りベッドルームへ向かうと思った秀麗の予想を裏切って、楸瑛が向かったのはベランダに面した大きな窓ガラスだった。
一体こんな所で何をするのだろうと不思議な顔をする秀麗に、楸瑛はそっとくちびるを寄せる。
「ここで、抱くよ」
吐息が触れる距離まで近づくのに、楸瑛のくちびるが秀麗のそれに触れることは無い。
その距離を保ったままで、楸瑛は繰り返す。
「秀麗、ここで君を抱く」
いつもなら楸瑛は「秀麗ちゃん」とゆっくりと呼ぶ。
絳攸がそうするのと同じく「秀麗」と呼ぶことを躊躇ってもいるし、そして呼んでいるのが絳攸ではないという事を、秀麗にしっかりと伝える意図もあるのだと思う。
けれど、何気ない瞬間に時折「秀麗」と呼ばれる事がある。
それはキッチンで一緒に食事を作ってるときであったり、彼の腕の中に包まれながら湯船につかっている時だったり、本当に気まぐれなのだけれど、ただひとつ決まっているのは、情事の時には決して「秀麗」とは呼ばないという事だ。
身体を重ねる時には決まって、秀麗の耳に刻み込むかのように、「秀麗ちゃん」と呼ぶ。
髪を撫で、肌に口付け、秀麗を高みへと導きながら、彼はいつも悲しい顔をして「秀麗ちゃん」と呼ぶのだ。



「ここで、君を抱く」
そう告げた時、流石に彼女が顔を顰めたのを見て、楸瑛はほんの少し安堵した。
まだ、痛みを感じることができる――自分も、彼女も。
彼女との関係を、何と表現すればいいのかわからない。
恋人ではない。
家族でもない。
ただ、共に寝起きして、身体を重ねる、それだけだ。
しいて言うならば、手を繋いでいるのだと思う。
冷たい手をつないで、戻ることのできない道に立ち、暗闇がやってくるのを待っている。
手をつなぐのは、不安などからではなくて、互いが逃げない様に、繋いでいるだけだ。

初めて彼女に会った時、てっきり親友の恋人だと思った。
女嫌いと言っていい絳攸が、洒落たカフェで女性と向かい合っていたのだ。
それなのに、少しくらいからかってやるかと近づいてみれば、二人の間に飛び交っていたのは、小難しい単語ばかりで、その上その女性ときたら絳攸の話に真っ向から反論している。
随分と優秀で、そのうえ気の強い女性だなというのが、秀麗の第一印象だった。
その後、憮然とした態度で教え子だと紹介してくれた絳攸とは対照的な笑顔で、秀麗も挨拶をしてくれた。
それから、何となく三人で会うようになって、ああ、彼女は絳攸の事が好きなのだなとすぐに気がついた。
真っ直ぐに自分を見つめる眼差しに気付かないのは、絳攸くらいのものだと思う。
そして、真っ直ぐに見つめることのできる彼女が羨ましかった。
二人なら、幸せに寄り添ってゆけるだけでなく、きっと、沢山の祝福を得るだろう。
それにひきかえ、自分の心の中にあるのは禁忌だ。
伝えれば、絳攸を困惑させ、そればかりか、一生険しい道を歩くことになる。
自分一人だけではなく、思い人をそこに巻き込むことが、楸瑛には躊躇われた。
ただ女性というだけで、憚ることなく見つめる事ができる彼女が羨ましかった。
そして、そんな幸せを当たり前と感じている事に、苛立ちもした。

けれども、事態は思いもかけぬ方向へと動き始める。
それが、天使の悪戯だったのか、それとも悪魔の気まぐれだったのかはわからない。
確かな事は、その瞬間から何かが変わってしまったという事だけだ。
楸瑛が最初に秀麗を見かけたカフェで、三人はテーブルを囲んでいた。
一体何のきっかけでそんな話をしたのか覚えてもいないが、いつの間にか、話題は恋愛の事になっていて、絳攸がはっきりと言ったのだ。
「お前たち、似あいじゃないのか?」
膝の上で重ねた秀麗の手に、ぎゅっと力がこもったのを、楸瑛は見逃さなかった。
見る間に彼女の顔が青ざめる。
きっと自分も似たような顔をしているのだろうと思った。
凍りついた空気に気付く様子もなく、絳攸は一人饒舌に話し続ける。
「楸瑛は、まあ、いろいろ馬鹿な奴だけど優しいし、秀麗は料理も上手だしな」
その口ぶりは、いかにも言ってみただけというのが顕れていたけれど、急激に膨らんでゆく虚しさを止める術を楸瑛は持ち合わせていなかった。
本当は、秀麗の眼差しに満更でもないそぶりをしているくせに、楸瑛が秀麗と付き合うなどと言いだす筈もないと思っているからそんなことが言えるのだ。
「私、お手洗いに行って来ます」
震える声で秀麗がそう言って立ち上がったとき、ほんのささやかな復讐を思いついた。
「じゃあ私も行っておこうかな」
何気なくそう言って、絳攸を残し席を立つ。
テラス席からは死角になっていることを確認して、楸瑛は秀麗を待った。
ほどなくして出てきた秀麗は、楸瑛を見つけるとおやと首を傾げた。
その手を掴んで乱暴に引き寄せる。
「試してみないかい?」
唐突な楸瑛の言葉に、秀麗は瞬きを繰り返す。
「私たちが、付き合っていると言ったら、絳攸がどんな顔をするか、見たいと思わない?」
楸瑛がじっと見つめれば、大体の女性は頷くのだけれど、秀麗は小さくため息をついた。
「悪趣味ですよ」
その様子が何処か余裕に感じられて、一層苛立ちを誘う。
「君、絳攸の事が好きでしょ? あんなふうに言われて、悔しくないの? ああそれとも、もう一回くらい寝た?」
彼女がそんな女ではないことも、絳攸にそんなことができる筈もない事も解っていて、そう言った。
案の定、秀麗はきっと目を釣り上げて睨んで来る。
「絳攸先生は、そんなことする人じゃありません。そんなの、一番よくご存じ筈です。あなただって……」
「綺麗事は、もうやめようよ、秀麗ちゃん」
秀麗の言葉を遮る様に、楸瑛は彼女を抱きよせる。
「私たちの気持ちに気づこうともしない絳攸をさ、ちょっと見返してやろうよ」
頤に手をかけて、視線を合わせると彼女の心が揺れているのがわかる。
視線を逸らしたら負けだ、そう思ってじっと睨め付けると、彼女の瞼が閉じられた。
「物わかりのいい子は好きだよ」
そう言って顔を寄せる。
触れ合ったくちびるに熱は無かった。

「え?」
手をつないで席に戻った二人が告げた言葉に、絳攸は瞠目した。
「だから、私たち、付き合っているんだ。ね」
そう言って同意を求めれば、秀麗は困ったように頷く。
駄目だよ、君だけ逃げられるだなんて考えては。
私たちはもう共犯なんだから。
秀麗の退路を断つように、楸瑛は言葉を続ける。
「だから、絳攸。もう秀麗と二人っきりで会うのはやめてくれるかな?」
秀麗は避難するような視線を向けてきたけど、楸瑛はそんなものは怖くなど無い。
「だがしかし……」
秀麗以上に困惑した表情をしているのは、絳攸だ。
「恋人が他の男と二人きりでいるのを、快く思う男はいないよ。解ってくれるだろう?」
そう言って、微笑みながら、ほんの少しだけ、楸瑛は期待していた。
こんなことは馬鹿げている。
終わらせることができるのは、絳攸、君だけなんだよ。
立ち上がって、私の事を殴ればいい。
そして彼女の手をとって、行けばいい。
お願いだからそうしてくれ。
けれど楸瑛の願いも虚しく、絳攸はわかったと頷いた。
「そういう、ものだよな。解った」
冷え切ったお茶を飲みながら、その後何の話をしたのか、楸瑛は覚えていない。

絳攸の目の前で抱き寄せても、手を引いて車に乗せて走り始めても、秀麗はずっと黙ったままだった。
せめて、詰ってくれたらいいのにと思っても、その視線すら楸瑛に向けてくれはしない。
苛立ちを抱えたままに運転して、気がつけば自宅の地下駐車場にいた。
シートベルトを外して、覆いかぶさっても抵抗するそぶりも見せず、秀麗はただじっとしている。
その瞳が虚ろな事に気がついて、楸瑛は悟った。
自分も彼女も、戻れない一歩を踏み出したのだと。
「おいで」
一言だけ声をかけ車を降りると、秀麗は黙ってついてきた。
部屋に入って、シャワーも浴びずにベッドに直行し、貪るように楸瑛が身体を奪う間も悲鳴すらもあげなかった。
破瓜のしるしのついたシーツを始末して秀麗が眠っているのを確認した後、シャワーに紛れて楸瑛は泣いた。

それから、だんだん彼女がいる時間が増えて、いつの間にか秀麗はここに住むことになった。
家事が得意でよく気のつく秀麗との暮らしは快適だ。
頭のいい女性だから、話をしても飽きることもない。
最初に関係を持った時から一度も情事を拒まれる事も無かったから、欲望を持て余す事も無い。
それなのに何故だか、楸瑛の心は波立つ。
それはもしかしたら、罪悪感なのかもしれないし、気持ちを捻じ曲げたことへの後悔かもしれないが、楸瑛にも良くわからなかった。
鬱積する気持ちをぶつける相手は、秀麗しかおらず、ぶつけたところで秀麗は曖昧に笑うだけで、けれどもその笑みは余計に楸瑛を苛立たせる
もうこんな関係は終わりにしたかった。。
終わりにしたいのに、終わりにする方法が見つからない。
どうして秀麗は終わりにしてくれないのだろう?
そんな想いがつのればつのるほど、目茶苦茶に彼女を犯した。
犯すだけでは飽き足らず、彼女が絳攸と会うのを禁じた。
禁じてみても、目の届かないところで会っている様な気がして、ついには秀麗が部屋を出ることも禁じた。
どんなに酷いことを楸瑛がしても、秀麗は相変わらず、抵抗をしなかった。
彼女はただ、静かに笑っていた。
楸瑛の心が鎮まることは無かった。


「秀麗、ここで君を抱く」
残酷な事を告げる声は、優しかった。
優しいことが、秀麗をもっと傷つけるのだと知らないのだ。
優しい声のまま、楸瑛がいう。
「自分で脱ぐ? ああ、着たままするのも、たまにはいいかもね」
わざと辱しめるような言葉に、静かに答える。
「どっちが、いいですか?」
挑むような目すら、見せてはやらない。
「そうだね。じゃあ最初は、このままで」
言葉とほとんど同時に、下着の横から指を差し込まれ、掻きまわされる。
性急に進めるように見せて、楸瑛はいつも秀麗の体を気遣ってくれるのを秀麗は知っていた。
今だって、彼との生活に慣れた秀麗が、口付けるだけで潤う事がわかっているのだ。
それでも、こんな場所で乱暴を装うのは、もう終わりにしたいと言うサインなのだろう。
元来優しい性格の彼のこと、暴力的な行為に、彼自身のほうがよっぽど傷ついているのだ。
それでも、秀麗は彼を自由にはしてやれない。
身体も、時間も、自らの心ですら、楸瑛に差し出す事を厭わない。
ただ一つだけ、彼にも他の誰にも渡したくないものがある。
乱された息を整える間すら与えてくれることもなく、秀麗の中に楸瑛が入ってきた。
追い詰めるように無茶苦茶に突き上げるくせに、ぎりぎりのところで突然止められて、秀麗はたまらず懇願する。
「やぁ……、おね、が、い」
仕方ないねと楸瑛が少し笑った後、秀麗はその腕の中に崩れ落ちた。

ゆっくりと、髪を撫でられている。
その心地よさにふわふわと酔っているうちに、優しい声で囁かれる。
「ごめん、まだ許してあげられないんだ」
秀麗の呼吸が落ち着いてくるのを見るや、楸瑛はその腰に手をかけて立ち上がらせる。
そのままくるりと反転させられて、秀麗の眼下には街並みがひろがった。
昼間の見慣れた光景は、流石に秀麗の羞恥心を刺激する。
それこそが彼の意図だと解っているから、黙って受け入れた。
けれども楸瑛も、それだけで許してはくれなかった。
肌蹴たままのブラウスとその下の下着も、全てはぎ取られる。
唯一身につけたスカートを捲りあげられて、快感に身を捩る女の姿がうっすらと窓に写されて、流石に秀麗は顔を背けた。
「恥ずかしいの? 流石に地上60メートルで、誰かに見られたりしやしないよ」
その言葉に、楸瑛を受け入れた部分がきゅんと反応したのが、秀麗にもわかった。
「ああ、締まった。もしかして、見られる方が興奮するのかい? そうだ。それならいいことを教えてあげようか」
そういうと楸瑛は、穿つように動いていた腰を止めて、代わりに秀麗の胸の先をいじりながら言った。
「今日ね、絳攸に会ったんだよ」
唐突に告げられたその名に、秀麗はぼんやりと聞き返す。
「こう、ゆう、せん……せ?」
「そう、絳攸だよ」
楸瑛の声は、相変わらず優しい。
「絳攸に、見せてあげたんだ。眠っている、君の写真」
「写……、し?」
写真が一体、どうしたというのだろうか? 楸瑛に弄られた身体が熱くて、よくわからない。
「安心していいよ、一番可愛い写真にしたから」
そう言われて、漸く秀麗は理解した。
「そう、終わった後、眠っている君の写真だよ」
泣きそうな声で、そんな事を教えてくれる楸瑛を、本当に優しい人だと思った。
そんな楸瑛だから、地獄にすら辿りつかない道でも、一緒に歩いてあげよう、とも。
「絳攸ね、写真見て黙ってしまったよ」
そういって楸瑛は乱暴に動き始める。
秀麗も、いつもには無い程にしっかりと応える。
与えられる快感に目がチカチカし、平衡感覚すらなくなって、ふたり同時に床に崩れ落ち、それでも移動することすらもどかしく、そのまま何度も求めあった。
気付いた時には、秀麗の奥に楸瑛が放った欲が、受け止めきれずにどろりと零れた。
それは、秀麗にとって初めての感覚で、どうやって動けばいいのかわからずに、膝立のまま静止してしまう。
「謝らないよ。避妊しなかったこと」
床に座って、ソファにもたれかかった楸瑛が、ぽつりと言った。
その目はもう、秀麗を見ようとすらしない。
秀麗はゆるゆると身体を動かして、彼の上に跨り、そっと口付けた。
「いいんです。一緒に堕ちると、約束しましたから」
そういうと秀麗は、もう一度楸瑛に口付けた。
差し入れられた舌に自らの舌を絡ませることで、楸瑛も応えた。
きっと一緒に歩いてゆくのだと、二人は思った。


【了】